夫婦

父と母は

よく喧嘩をしていた。

 

その原因のほとんどは

同居する舅&姑問題で

夫婦不仲という感じでは

なかったのだけれど。

 

事実、舅&姑がなくなって

かなり家庭が平和になり

両親の喧嘩はぐんと減った。

 

 

私は、母が泣くのを

何度も何度も見て育った。

 

そして

母から聞く言葉は

祖父母や親戚の悪口ばかりで

いつの間にか

私は母のカウンセラー。

 

辛くて苦しい

苦い思い出。

 

 

小学生の頃、

私は母に問うてみたことがある

 

「お母さん、幸せ?」と。

 

 

その時の母の返答は

 

「今はわからない、

死ぬときにわかるんじゃないかな。」

だった。

 

当時は

理解し難かったこの言葉が

今はとてもよくわかる。

 

 

両親は見合い結婚。

 

だから母が父を好きで

結婚したかどうかは

わからないけど、

 

色んな危機を乗り越えて

47年過ぎた今も

夫婦を続けている。

 

今、2人は

広大な田畑の世話をしながら

 

誰に気兼ねもなく

小旅行に行ったり

御寺巡りをすることが

楽しみなようだ。

 

帰省すると

いまだに

激しめの言い争いを

やることがあるが笑、

 

今の私は

その言い合いを聞くのが

幸せだったりする。

 

 

他人が共に

年月を重ねるって

大好きだったとしても

難しいと感じている。

 

習慣の違い

性格の違い

思考の違い

違いがいっぱいあるから。

 

それでも

折り合いをつけながら

色んな苦難を乗り越えながら

ともに過ごす歳月は

二人の結びつきを

深くしていくのかな。

 

 

一方、私たち夫婦は

5月18日に

結婚16年目を迎える。

 

大好きな夫が

仕事とわかっていても

日中いないのが寂しくて

帰宅するのを待ちわびていた

新婚時代。

 

今じゃ、亭主元気で留守がいい笑。

 

 

16年の間に

私たち夫婦も

たくさん喧嘩もしたし

離婚の危機もあった。

 

そして、いまだに

理解不能なこともあるけれど

 

結婚当初のドキドキした愛は

もう、ほとんどないけれど

 

大切な存在であることは

変わりない。

 

そして

この16年で

私にはないものを

たくさん持っていることを

発見した。

 

すごいなと思う。

尊敬している。

 

 

母が子どもの頃に言っていた

「幸せかどうかは死ぬときにわかる」

ということ。

 

それは

死ぬまで何が起こるかわからないけれど

例えどんな苦難が訪れても

それを乗り越えたられたら

きっと幸せなんじゃないかな

ということだったのだと思う

 

 

縁あって

夫婦になって

子どもたちにも恵まれて

 

色々あって、乗り越えて

 

まあ、今も色々あるけど

許し合って。

 

 

夫には感謝してます。

夫婦になってくれて

ありがとう。